小さな箱から脱出する方法~直面する無数の限界感を突破する自分の育て方

想いを込めた言葉の力が「人を救う」と信じています。中卒→ニート→転職→鬱で3年休職→現在は大手小売業の管理職。 人生で得た知識とスキルをアウトプットし共有するブログです。

「恥」とか「遠慮」もあるけど、「お願いをする」勇気について。

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自分ひとりでは成し遂げられない壁にぶち当たった時。

 

誰かの協力を得なくてはならない。

 

場面や成し遂げたい壁の違いはあるけれども「お願いをする勇気」を、どんな時もあなたは持てるでしょうか?

 

勇気をなかなか持てない人に贈るエントリー。

 

【テーマ】

「お願い」をすることに勇気を持てないのはなぜか

 

【目次】

0.「人は一人では生きていけない」は本当か嘘か

1.コミュニケーション能力があるかないかではなく、勇気があるかどうか

2.「お願いごとのプロ」は嫌われるときもある理由

3.終わりに

 

0.「人は一人では生きていけない」は本当か嘘か。

「お金さえあれば」「時間さえあれば」と自分の財産(時も金なり)で人生はなんとでもなると言う考えはあります。

しかし「お金を払って(もらって)誰かが動いている」のですから、「自分一人」で生きているかと言うと、そうとは言えない。

 

「他者と共存する社会の中で、財産をはたけ(対価を払え)ばなんでも上手くいく」と言う価値観でしかありません。

 

「他者を動かしている」ことは「一人で生きていない」ことの裏返しであると思う。

「自分は意図せずとも、自分の為に誰かが動いている。望んでいようがいまいが動いている」。

 

極端に言えば、今僕がブログを書いている密閉された部屋での呼吸や動作が巡り巡って誰かに影響を与えていることだってありえる。

 

同じ時間に影響を与えていなくたって、今の僕の「判断」が明日の「僕」に少なからず影響をしていて、違う「判断」をとった結果、巡り巡って誰かの人生が大きく狂うことだってありえる。

 

「自分は地球上最後の人間になれる自信」はまったくないから、そんなことを考えて眠れなくなる日もあります。

 

さて。

 

1.コミュニケーション能力があるかないかではなく、勇気があるかどうか

1ー①いざと言うとき、お願いをする人を作っておく

人に「お願い」をすることが苦手な人は少なくない。

かつての僕もそうでした。

 

「自分の身の回りの事」「回ってきている仕事」は「自分の力で解決するべき」と言う考え方があります。

「能力を発揮して活躍する」これは何よりも大事なモチベーションになりますが、時間・物理・経費的に「一人では無理」なことが、やはり出てくるものです。

 

組織の中で役職に就くようになると、会議やら研修やらちょっとしたMTにまで「スケジュールのかぶり」が生れてきます。

理由は主に「みんなの都合のいい日(曜日)は大抵同じだから」となります。

 

では、そんなときに「代行者を立てる」となる訳ですが、代行者えらびのみならず常日頃からの教育・指導をしていて「代行者として務まる」人がいなくてはなりません。

 

もう少し踏み込むと「信頼関係で結ばれた部下」がいてほしいもの。

 

いざと言うときに「お願いね」で動いてくれる人を見つけて・来るべき時の為に準備をしていく。

 

1-② お願いの結果のフィードバック

「お願い」を「弱み」とか「貸し」と捉えていてはネガティブすぎます。

結果として「お願い」を聞き入れて動いてくれるのですから「どんな結果」であっても「感謝の言葉」に尽きないでしょう。

 

結果が芳しくなければ、普段の教育・指導・情報の共有が不十分。

結果が思いのほか良ければ、成果を称えることでさらに代行者は伸びる。

 

いずれにしても、「お願いをする(こちら側)」が普段からどのように人(代行者)と接してきたかなのです。

 

結果を責めるのは「自分」に。結果を誉めるのは「相手」に。このフィードバックは大事です。

 

いずれにしても「また力をかそう」と思って貰えるようにする。

 

1-③ 恥をかけ。くじけるな。

「恥」は「ものごとを失敗する経験」から感じますが、「お願いを断られること嫌だな」と恥をかきたくないと思い何もできないこともあります。

 

10分の1の確率で10人に「YES」と言われるためには、小手先の話術や、納得させるだけの根拠を作っておくだけではダメです。

 

100人へのアタックが必要です。

 

90人の拒絶があった先に10人の「YES」がある。

 

くじけてはいけない。

 

よく「言っておいたことをしない部下」がいますが、理由を聞くと「遠慮していました」なんて応えます。

 

「違うよね」と突き詰めますが、理由はわかりきっています。

「恥をかく勇気がなく。覚悟を決められない」から。

これは「遠慮」ではなく「自己保身」ですよと思いますが。

 

彼は彼なりに頑張ってくれているのは認めています。

でも、叱りたくなるのは「人の上に立つ存在(役職者)」であること。

 

「報酬分の働きができない人」と周りに嘲笑されてはいけない。

胸を張った仕事をするために「遠慮は捨てて勇気を持ち覚悟を決めてやり切る」こと。

 

恥をかいただけ強くなれる。

「僕のミスや失敗をからかって言ってくる人」もいるにはいますが、そんな時に努めて冷静にいるように心がけます。真摯に詫びて改善すればいいのです。

 

「遠慮は捨てて勇気を持ち覚悟を決めてやり切っている」自負があれば、まず折れることはありません。

 

2.「お願いごとのプロ」は嫌われやすい理由

「お願いごとのプロ」は「お願いすることを当たり前のこととしてしまった人」の事ではありません。「お願いに対しての相手の反応や行動」に対する「感謝」が出来ない人のことを指します。

 

あまり深堀しません。

 

「自分の特徴」を盾に「やって貰って当たり前」さもなければ「差別と言いふらす」そんな人です。

 

プロは「一定以上の水準(決まりとしてあるものも・ないものもあるけれど)でアウトトップして食べていける人」を指すのだろうと考えていますが、「他者への良き、はたらきかけ」があってこそでしょう。

 

プロの接客は「万人に変わらない接客・サービスを提供する」ことが基本であり、「誰かに特別なサービスをすることにより、他の誰かへのサービスが落ちるのでは意味がないからしない」のです。

 

3.終わりに

「お願いをする」勇気とは「拒絶される恐怖」を乗り越えることにあります。

 

「遠慮」と言えば聴き心地はよいかもしれませんが、「恥をかくことを恐れてしまった」の裏側が隠されていることもあります。

 

いずれにせよ、「親しく話の出来る仲間」はやはり多い方がいい。

遊ぶにしても、考えるにしても、議論するにしても「相手」がいる方が望ましいし、数は多い方が効果は高まる。

 

「やらなければならないことは山ほどある」 

「やりたいけれどもやれないことも山ほどある」

 

「やりたいこと」をやりつつ「やりたくないこと」をやって貰うには、「やりたくないこと」を振れる仲間を増やすこと。

 

他者にもっと興味・関心を持って、僕からの「お願い」が押し付けやストレスとならずにやって貰える「人財」を日々発掘していきたい。

 

そして僕もまだまだ引き出しを増やしていくのだ。

今の事業所300人のお願いに対応できる人財となるために。

 

mission complete!